㉛ 2008年北京五輪開催直前のチベット反乱事件に遭遇

 1. 北京五輪直前、広東省でチベット反乱事件に遭遇した 


北京五輪開催直前の2008年3月、私は研修の仕事で広東省に滞在していた。日系企業の中国現地法人でERPパッケージを中国に展開することになり、私はそのプロジェクトメンバーへの研修支援をしていた。メンバーは
日本人2名、中国人4名で 合計6名で構成されていた。その内訳は・・

日本人は2人は、日本語と英語が出来たが、“中国語”は出来ない。
中国人の2人は、中国語と英語が出来たが、“日本語”は出来ない。
中国人2人は、中国語と日本語が出来たが、“英語”は出来ない。

6人全員に通用する共通言語がなかったので、ミーティングの初期段階では意思疎通はぎこちなくてお互いに戸惑っていた。しかしいつの間にか気心が知れてくると、“同文同種”でもあり相手の顔の表情で確認しながら、筆談なども利用して、次第に意思疎通がスムースに出来るようになってきた。

名刺を交換する時に驚いた。交換した名刺に書いてあった名前は「」という日本では見たことがない難しい文字だったし、発音はyingというそうだ。画数も多いし読み方もサッパリ分からない。日本では絶対に見かけない名前であるが、中国ではそれほど珍しくない名前の様子だそうだ。嬴さんに聞いてみると「秦の始皇帝の幼名」と同じだそうだ。

更に驚いたのは、この中国人メンバーの中に飛びぬけて優秀な人材が一人いたことだ。この中国人プロジェクトリーダーは、リーダーの3要件「能力・性格・技量」ともに図抜けた人材であった。その優れたコミュニケーション能力で日本本社との意思疎通も上手にこなしていた。日本人の能力は概ね「ドングリの背比べ」だが、中国人は「優秀でない人」と「そうでない人」の差が大きいようだ。そしてこのプロジェクトは順調に進捗しそうだったが・・

北京五輪の開催を前にして、
突然、問題が発生した。
れは2008年3月・・私はくつろいだ気分で広東省の飯店で夕食を一人で楽しんでいたら、周りの雰囲気が殺気立って何かおかしい・・・北京オリンピック開催を前にして、チベット自治区でチベット独立を求める暴動が近くで起きていた・・

前日まで街角に大勢いたチベット人が突然一斉に姿を消していた。チベット人は色黒の容姿や独特の服装なので容易に漢民族の中国人と識別できる。彼らが“無事に逃れた”のか“公安警察に拘束された”のかは判らないが・・町のあちこちに公安警察が武装して物々しい厳戒態勢が敷かれた。殺伐とした雰囲気となり、事情が分からない私は不安な気持ちになった。私はリラックスできず、それから数日間緊張していた日々が続いたが・・それでも無事に日本に帰国できた。

2. 中国では治安維持のためには、“人権”は無視される。



生活の安全を「日本の常識」で考えてはいけないのだろう。中国は日本のように“単一民族”から成り立っている訳ではない。中国は、“五族共和”(漢族、満州族、蒙古族、回族、チベット族)で成り立っている多民族国家で、それぞれの民族の歴史や宗教も異っている。下手に民主化して民族の独立や自由を許してしまうと、中国がバラバラに分裂してしまうから、安易に民主化を進められないのだろう。



毛沢東政権の間に、中国では“5千万人”もの国民が亡くなったと言われている。文化大革命では紅衛兵が思想統制を行い、徹底的な毛沢東への個人崇拝を強制した。中国全土が内戦状態となり、全ての中国人民は恐怖におののいた。キリスト教だけでなく仏教や儒教に対しても「宗教は阿片である」として排斥した。現在でも「法輪功」や「一部のキリスト教」は邪悪な宗教として規制されている。

3 日本人は明治維新以降の
日中の歴史を・・

1989年に天安門事件が発生している。民主化運動を警戒した中国政府はその国民の不満の矛先を外国(日本)に向けるために愛国主義教育を始めた。中国の歴史教育は日中戦争を大きく取り上げるが、自国の統治に都合の悪い「文化大革命や天安門事件」の事実については国民に隠ぺいしている。このように中国は近代化が遅れたが、1987年の鄧小平の改革開放政策であっという間に2011年には日本を追い抜いていった。

日本と中国の政治と経済

日本では「明治時代以降の日中の歴史」を殆ど教えていない。

明治時代以降、日本と中国は長い間戦争をしていた暗い歴史がある。日清戦争、満州事変、南京事件、中華人民共和国成立、文化大革命、日中国交正常化・・日本と中国の間には様々な出来事が起きている。これらの歴史を中国の学校教育では教えているのに、何故か日本の学校教育では「明治時代以降の日中の政治・経済・歴史」を殆ど教えていない。

そのために日本人は中国人の反日感情をよく理解できず、ディスカッションで相手に反論できないために劣勢になる。隣国である中国とは長い歴史の中に様々な出来事があった。“その日中の歴史”について日本は学校で時間をかけてしっかり教えるべきである。


4. 現実の中国は暗い面がたくさんある。

ここまで、中国について「負の部分」を触れてきたが、5000年の悠久の歴史や文化を持つ中国の壮大なダイナミズムを手本にして、日本はこれまで発展してきた。京都や奈良を訪ねると中国を由来とするものが多い。「論語」は、江戸時代から武士の教養であり、明治維新以降は教育のバックボーンであった。
中国は4000年の歴史があり、日本の手本で信義を重んじる国である”という先入観から、昔の中国に対して私は“畏敬と憧憬の念”を抱いていた。
しかし現実の中国は“コネ社会、汚職・贈賄、貧富の格差・・”等の暗い面がたくさんある。


ここで話を個人的な話題に替える・・私は日本生まれであるが、私の家族は中国からの戦後の引揚者である。泥沼の日中戦争があり、日本人は終戦後蒋介石の軍により上海の収容所に集められて、着の身着のまま上海から復員輸送船でやっと帰国したそうである。

私の家族では、中国については‘大好き派’と‘大嫌い派’に二分される。中国の文化は独特で「灰汁(あく)が強い」ので、‘大好き’‘大嫌い’かの、どちらか両極端に分かれる。但し中華料理だけは誰にも美味しいので家族全員が大好きである。




以上


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